こんにちは、FIRE投資家のカケルです。
今回は今まで謎に包まれていた「私がFIREするまでの人生と現在に至るまで」についてお話します。
今回は長くなりますよ?覚悟はいいですか?
まずは私の基本データをご覧ください。
36歳で総資産3.5億?どうやって資産形成したのかしら?
それよりも最後の「趣味はぼったくり保険営業のおばちゃんの撃退」が一番気になります。
中学生編
まずは家族構成と私の生態データから見てみましょう。
- 父(71歳)・・・祖父から引き継いだ自営業(総合商社)を大きくし、大きな資産を築く。
- 母(他界)・・・中学校の家庭科の教師。勉強には人一倍うるさく、テストは常に100点でないと怒る。
- 兄(40歳)・・・クソ真面目。貯金が正義。学資保険、個人年金、医療保険など、ぼったくり保険が大好き。
- 年齢・・・37歳
- 性格・・・おしゃべりで人見知りせず、人の好き嫌いが激しい。「人付き合いは狭く、深く」がモットー。
- 趣味・・・筋トレ、ぼったくり保険営業のおばちゃんの撃退、毎日ファミレスで獲物を狙っている
- 仕事・・・個人投資家(本業)、ブロガー、某会社の社長
父に嫌悪感を示す
この頃、時代はバブルの真っ只中!
父の会社は儲けに儲け、会社の経費で毎年ベンツやBMWを買っては売りを繰り返していました。
そして我が家では毎週土日は必ず寿司に行くという風習があり、行くお店は家の近くのカウンターしかないお店でした。
当時はほんとに回転寿司の存在を知らなかったです。
あれ?カケルさんってお金持ちのボンボンなのかしら?
しかし、親の経済力のありがたみを分からないまま育ち、反抗期の私は父とささいなことで大喧嘩。
そしてそこで言われた一言・・・
父「誰のお金で生活が出来ていると思っているんだ?」
この時、父に対し強烈に嫌悪感を抱いたのを今でも覚えています。
ほんとに、カイジの利根川かと思ったよ。
お金でしか愛情表現出来ない
父に対する嫌悪感は続きました。それでも母や兄は私に優しく、父のたまに出る暴言を除けば家庭は平和でした。
しかし歳を重ねるごとに、父は母と喧嘩するたびに先程の「誰のお金で・・・」を連呼するようになりました。
この頃から私は父のことを「お金でしか愛情表現できない寂しい人」と思うように・・・。
はい、ここまででかなり悲惨な家庭環境なのが伝わってきましたね。そろそろ記事から離脱してもいいんですよ?
まだFIREに関する話が1mmも出てきてないから離脱出来ないよね?
大学時代編
思わぬ部活に入部
勉強熱心な母が、塾、家庭教師など、あらゆる教育に費用をかなりかけてくれたおかげもあり、
兄は関西の一流大学、私は兵庫の一流大学へそれぞれ進学することが出来ました。
私は中学時代、水泳で全国大会に何度も出場するほどのゴリゴリの体育会系だったのですが、高校では帰宅部となり大学で特に運動系の部活に入る予定は全くありませんでした。
しかし、大学生の新入生を歓迎してくれる、いわゆる「新歓コンパ」に勧誘され、気付くと・・・
社交ダンス部に入部していました。
・・・・えええええ???気でも狂ったのかしら?
はい、皆様想像通りのこういうやつです。
予想外過ぎて私自身が一番驚きました。けど、しっかりと4年間続けて、成績もそこそこ残しました。
父との決別
大学生活と部活を楽しむ中で、母が58歳の時、急に物忘れが激しくなり、おかしな発言が増え始めたので病院に連れて行ったところ、「若年性アルツハイマー」と診断されました。
兄と私は父に対し、「ずっと家族をないがしろにして母に育児、家事、勉強の相談など全て任せ、負荷をかけ続けた父が悪い!」と抗議し、大喧嘩。
冷静に考えれば、「若年性アルツハイマー」の原因は医学でも解明されておらず、父に対する発言は昔からの嫌悪感から出た言葉でした。(他責思考だよね)
そこで決定的なことが起こりました・・・
父は家の金庫にあった100万円の札束で兄と私をビンタしました。
もうね、何が起こったのか意味不明でわからんよね。
父は「病気になった〇〇(母の名前)の面倒をみるには金がいる。お前たちにできるのか?お前たちにはこの100万円を稼ぐ難しさが分かるか?この重みを覚えてろ!経済力がなければ世の中では誰も認めてくれん!」と暴言。
ここで私は「もう父とは縁を切りたい、しかし離れるためにはお金がいる」「いつか資産額で父を超えてやる」と考えました。
ギャンブルに溺れる
18~19歳の若者がお金を得る方法で思いついたのは「ギャンブル」のみ。
バイト代が入ったら、パチンコ、スロット、競馬などに明け暮れ、ギャンブル依存症のような友人と毎日過ごす日々。
(バイトはパチンコ屋で毎月バイト代で15万ぐらい稼いでいました)
1度だけ競馬で500円が800,000円になることがありましたが、結局全て失い、給料日前にはいつも一文無しの状態でした。
投資家との出会い
ギャンブル依存症のような生活を続けながら、お金が増えるわけでもなく時は過ぎ、ある時サイバーエージェントが運営する「アメーバピグ」というものにハマりました。
リベシティのバーチャルオフィスとほぼ同じようなもので、全国で数百万人が利用していました。
そこで「女性投資家」と名乗る少し年上の女性に出会いました。彼女は当時26歳で資産3億、投資だけで資産を築いたそうです。
あれ?なんか似たようなピンクの🐷がいたような?
この肩書聞いたら詐欺師だよね?ただ、彼女とリアルに会って飲みに行くことになりました。
投資家から教わったこと
出会った女性投資家さんが詐欺師だったかは分かりません。
ただ、一度も情報商材を売りつけられそうになったり、変な勧誘を受けることはありませんでした。
そしてこの女性投資家さんが教えてくれたこと、それは・・・
・サラリーマンの平均年収400万を1日で稼ぐ投資家はざらにいる
・インフレによりお金の価値は目減りする、投資をしないことがそもそもリスク
・老後を豊かに生きたければ、投資は必須
正直、今の私も全く同じことを投資初心者さんに言ってます。この女性投資家さんはおそらく本物でした。
社会人編
父との決別2、損保会社へ就職
大学を卒業する頃、父から「俺の会社を将来的に引き継がせてやるから俺の下につけ」と言われましたが、全力で拒否。家を出て、父からやっと解放されたのでした。
私はあい〇いニッセイ同和損保に就職。事故の示談業務を専門に行うことに。
損保業界の給与は高くて初任給で500万円ちょっと、最終的にこの会社を辞める30歳ぐらいでは年収900万円ぐらいでした。
FXとの出会い
アメーバピグで出会った女性投資家から、「短期でお金を増やす投資はFXしかない」とアドバイスをされていました。
合ってはいるけど、私は絶対にFXを人には勧めません。(一応アフィ貼ってるけど、絶対に申し込まないでね)
FXはForeign Exchange(外国為替)の略で、たとえば日本円を米ドルに両替するように、ある国の通貨(お金)を別の国の通貨に交換することを意味しています。日本でFXは「外国為替証拠金取引」とも呼ばれており、取引額の一部に相当する証拠金を預けるだけで「外国為替」の取引を行えるのが大きな特徴です。これは、少額で大きな金額の取引ができることを意味しており、「レバレッジ効果」と呼ばれています。
資産が300万円へ到達
FXでは「レバレッジ」と呼ばれる仕組みがあり、証拠金(保証金)を預けることにより、1倍~最大400倍まで取引可能です。(現在国内では規制が入り、25倍が上限)
10万しかない人でもレバレッジ100倍でトレードすれば、1000万円分の取引が可能で、FXは一攫千金も狙える超ウルトラギャンブル性の高い投資商品として、当時は大流行していました。
冷静に考えてね。損も得も100倍ってことです。勝てば官軍、負ければ地獄ってことだよ?
私は運の良いことにバイト代5万円からスタートしましたが、FXで偶然にも勝ち続け、資産は21歳で300万円を超えていました。
FXをするかたわら、アメーバピグと同時にアメブロでFXの損益について毎日更新をしていたところ、ブログがバズり、アフィリエイト収入が月50~100万円ぐらいありました。
え?カケルさんってもともとブロガーだったの?
一晩で2,000万円が2億へ!?
はい、お待たせしました!ここからが一番みなさんが興味のあるところですね!
リーマンショック発動
私が23歳になる頃、ブログ収益とFXの短期売買による利益もあり、私の総資産は約2,000万円になっていました。
FXで偶然とはいえ、そこまで成功していたのはすごいわね。
ここで大事件が勃発!
リーマンショック発動!
2008年9月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、それを契機として広がった世界的な株価下落、金融不安(危機)、同時不況を総称する。同社は低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)を証券化し販売したが、住宅バブルの崩壊とともに、結局は負債総額約6000億ドル(約64兆円)という空前の破たんを招いた。
当時の私はFXで毎日のようにレバレッジ100倍以上で取引を行っておりました。
FXでは株の空売りと同じように、「下がれば下がるほど利益が出る」という取引手法がありました。
(株では株安になってもストップ安などありますが、FXにはそのような仕組みははありません)
偶然ですが、ポンド円を大量にショートしていたのです。(株でいう空売り)
朝起きると、口座残高が2億を超えておりました。
これは当時のポンド円のチャートです。
世界の株価は下がり続け、それと同時に私のポンド円の含み益はどんどん増えていきました。
少しずつ利益確定しながらも、最終利益は2.5億円ぐらいだったと記憶しています。
結果的にポンド円は2008年7月には210円だったレートが、2009年1月には120円まで大暴落し、ドル円は112円から1ドル90円まで円高となっていました。
豪遊からのフェラーリ購入へ
23歳の若さで約3億円近いお金を手にした私が最初に行ったこと、それは「ザ・豪遊」です。
キャバクラなどに全く興味のなかった私は、とにかく「高級なものを買う」に走りました。
(マネーリテラシーの低さ全開ですね)
高級腕時計、最新家電など・・・
これ、宝くじ当たった人がやりそうなこと第1位ですよね。
そして極めつけは「フェラーリ」の購入です。当時の価格で1300万円ぐらいだったかなと。
フェラーリの売却へ
社会人1年目から名古屋で仕事をしており、休日にはフェラーリを見せびらかすように栄を走行していたところ、気付いたことがありました。
格好つけてたつもりでいましたが、「周りの人が見ているのは俺じゃなくフェラーリだ」と。
急に自分のやっている豪遊三昧が恥ずかしくなり、フェラーリをすぐに売却。
フェラーリ納車からわずか1か月の出来事でした。
合わせて、家電以外の高級装飾品は全て売却し、初心に戻ろうと決意。
父との和解?
現実は?
お金を欲していた目的、そうです。「父を資産額で超えたい」と決意していたことを思い出しました。
2年ぶりぐらいに実家に帰り、父に投資で資産がある程度増えたことを報告するとまさかの展開が・・・
父「会社が倒産しそう、助けてくれないか?」
耳を疑いました。
あれだけお金にがめつく豪遊していた父でしたが、バブルが弾けた影響もあり、会社の業績は右肩下がり、さらに会社は超絶ブラック企業で、父のパワハラが横行していた影響もあり、15人ぐらいいた社員は5人にまで減っていたのです。
しかも経営は赤字垂れ流しの状態。
家族をかえりみず、因果応報じゃのう。
会社の再生へ
過去の暴言や母の病気のこともあり、正直「ざまーみろ、天罰だ」ぐらいに思いました。
しかし「血は水よりも濃し」、こんな父親でも私にとっては身内、父の経済力のおかげで大学にも行けたし、下宿も出来たし、母の施設代も支払えていることを思い出し、手を貸すことに。
父には社長を退いてもらい、一般社員として私が父を雇う形となり、私が登記簿上、社長へ。
損保に勤めながらも、見事会社のホワイト化と黒字化に成功しました。
そして現在へ
せどり会社を黒字に立て直してから、FXの短期売買は月1程度にしかやらなくなり、安定的なインデックス投資や株式投資、不動産購入へ。
また、2018年に損保会社を退職し、完全に自由の身となりました。(FIRE達成)
最後の大勝負?
FXで最後に大勝負したのは、2020年3月の記憶に新しい「コロナショック」の時です。
この時は、売りに売り浴びせて、1ヶ月で3,000万円以上勝ちました。
現在の収入源は?
現在の収入源は、毎月の以下2種類です。
気晴らしに月1回程度はFXをやりますが、ブログが楽しいのでもういいかなと思ってます。
FIREして分かったことは?
どんなに高級なものを身に着けても、「人は結局中身が大事」ということが分かりました。
大金を手にしてから、会社の同僚に飲みに誘われることが多くなりましたが、結局会社の同僚が見ていたのは私ではなく「私のお金」。要するに金づる状態で、人間不信に陥りました。
そこで、「テイカーの存在」に気付きました。
ギバー、テイカーって何?って人は、下記の本を絶対に読んだ方が良いです。人生観変わります。
私が「人付き合いは狭く、深く」をモットーにしている理由は、ギバーの存在を知ったからです。
逆にお金を持つ前から飲み友達で、投資で負けている時から今でもずっと応援してくれている親友はたったの3人です。
けどね、人生で親友と呼べる人が3人いる私は幸せ者です。
この親友3人はのちに同じく損保会社を退職して独立、それぞれ立派な経営者になっています。
おわりに
「私がFIREするまでの物語~今に至るまで」という小説のタイトルのような感じでスタートしましたが、いかがでしたでしょうか?
・お金は使い方次第で、自分や他人を幸せにも不幸にもする。
・世の中お金が全てじゃないが、全てにお金が必要。
・世の中には「ギバー」と「テイカー」がおり、「ギバー」の人は全てにおいて成功している人が多い。
読者の皆様に忘れないでほしいこと、「お金」は単なる物質で中立なもの、「価値と交換できる道具に過ぎない」ということです。私は今後も常に「ギバー」でありたい。
以上、最後まで記事をご覧頂き、ありがとうございました。
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